8/21(土)に実施した平和学習レポートの続きです。
沖縄戦で亡くなった人々の氏名を刻んだ
「平和の礎」を訪ね
「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘に立つ。
糸数アブチラガマの見学を終え、次に向かったのは沖縄県営平和祈念公園。

沖縄戦の全戦没者の氏名が刻まれた「平和の礎」を訪れました。
親せきの名前を見つけたメンバーもいました。4人に1人が犠牲になったという沖縄戦。
誰もが沖縄戦の遺族であり、戦火をくぐり抜けて生き残った人たちの子孫です。

*右側に見える手は、ひぃおじいちゃんの名前を指差している手が大理石の礎に写りこんでいるのであって、決して心霊写真ではありません。
悲惨な戦争の記憶が薄れることなく、その経験を平和創造のチカラにかえていく。
そんなメッセージを持つ舞台「那覇センセイション」を作っていく那覇青少年舞台プログラムのメンバーたちが
舞台上演の報告と舞台の成功を願って、慰霊の花をたむけ、黙とうを捧げました。



暗く窮屈なガマに身を潜めていた人たち。追いつめられて海に身を投じるしかなかった人たち。
戦争の犠牲になった多くの魂に語りかける貴重な時間になりました。

そして、自由で豊かな時代を生きている私たちは
人生を楽しみながら、精一杯生きていくことも使命のひとつ。
「全力でだるまさんが転んだ!」の模様は、また後日ご紹介します。
沖縄戦で亡くなった人々の氏名を刻んだ
「平和の礎」を訪ね
「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘に立つ。
糸数アブチラガマの見学を終え、次に向かったのは沖縄県営平和祈念公園。

沖縄戦の全戦没者の氏名が刻まれた「平和の礎」を訪れました。
親せきの名前を見つけたメンバーもいました。4人に1人が犠牲になったという沖縄戦。
誰もが沖縄戦の遺族であり、戦火をくぐり抜けて生き残った人たちの子孫です。

*右側に見える手は、ひぃおじいちゃんの名前を指差している手が大理石の礎に写りこんでいるのであって、決して心霊写真ではありません。
悲惨な戦争の記憶が薄れることなく、その経験を平和創造のチカラにかえていく。
そんなメッセージを持つ舞台「那覇センセイション」を作っていく那覇青少年舞台プログラムのメンバーたちが
舞台上演の報告と舞台の成功を願って、慰霊の花をたむけ、黙とうを捧げました。



暗く窮屈なガマに身を潜めていた人たち。追いつめられて海に身を投じるしかなかった人たち。
戦争の犠牲になった多くの魂に語りかける貴重な時間になりました。

そして、自由で豊かな時代を生きている私たちは
人生を楽しみながら、精一杯生きていくことも使命のひとつ。
「全力でだるまさんが転んだ!」の模様は、また後日ご紹介します。